最終更新日 1999年12月28日 |
偉人を訪ねる-湯浅禎夫【淀江町】 |
豪腕投手から、日本シリーズ初代優勝監督へ |
【偉人を訪ねる】 湯浅禎夫(1902−1958)【淀江町】 豪腕投手から、日本シリーズ初代優勝監督へ 昭和25年(1950)、プロ野球の第一回日本シリーズはパ・リーグの覇者毎日オリオンズが、セ・リーグ優勝の松竹を4勝2敗で圧倒し、日本一の座に輝いた。このときの優勝監督が、湯浅禎夫である。 幼少の頃から体格のよかった湯浅は、米子中学(現米子東高)時代から、その豪腕ぶりが注目を集めた。明治大学時代には学生球界のエースに成長し、日本の三大投手に数え上げられるほどの活躍ぶり。東京六大学野球リーグのシーズン奪三振レコード108という前人未踏の記録も、大学時代の湯浅が刻んだ栄誉ある記録である。 大学卒業後、大毎球団に入り主戦投手として活躍。2度の徴兵で一時球界から退いたが、昭和25年、毎日オリオンズの球団創立にともない、再び球界の表舞台に登場。そして、この「日本一」であった。2年後、同球団監督を辞任したが、昭和32年(1957)シーズンオフには、近鉄球団監督の座が約束されていた。しかし、このとき湯浅には病魔が襲い、再びユニホームを着ることなく、昭和33年(1985)1月5日、惜しまれつつ55歳のその生涯を閉じた。 |
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