最終更新日 2003年05月09日

5/9王国ニュースフラッシュ
東よりの冷たい風の吹く朝 この週末は高気圧に覆われ晴れの予報 五月晴れ! 

項目1 米子がいな祭 メーンテーマ決定「感動つくって30年 翔け(はばたけ)未来へ 8月2、3日に開催 事務所開きで披露
項目2 赤碕海岸に「海中林」 環境保護へ大型の海草アラメ移植 漁協と民間団体 魚貝類の産卵場になる海草の群落
項目3 境水産高校の練習船「若鳥丸」が初航海 516トン 39人が隠岐で体験学習
項目4 県が東京でウオークラリー 6月7日に 都交通局とタイアップ 鳥取を大々的にPR「江戸・鳥取ふれあいウオーク」 
項目5 淀江・日吉神社で5/3に春の例大祭「神幸神事」 360年続く伝統神事 子どもみこしも初登場「ヨイトマカセー」


 
湊山球場から見た米子城址。溢れんばかりの淡い緑に包まれていました。
この森は周辺の里山と緑の色が違うように感じます。森を構成する木々の種類が違うのだろうか・・・。調べたことはないのでわからないですが、“城山”ならではの独特の植栽がされているのかもしれないですね。
米子城の歴史を簡単にご紹介します。
最初に城を築いたのは、毛利元成の子・吉川家を継いだ吉川元春で、飯山(写真の左側・東側)に天正年間(1570年代)に飯山城を築きました。そして、元春の子広家が、月山富田城を居城としていましたが、本城を米子に移すために、天正16年(1589年)、飯山と峰続きの湊山(写真の山)に新城を築きました。これが米子城です。
関ヶ原の戦いの後、城主を吉川家から中村家、そして加藤家→池田家→荒尾家(池田家筆頭家老)と変わりました。
領国が最高だったのは、中村家の時で、17万5千石ということです。
米子城は全国でも珍しく天守閣が二つありました。一つは吉川広家が建てた天守閣で、もう一つは中村家が建てた天守閣ということです。明治になってから西南戦争のような反乱を地方が起こさぬよう全国の城が廃城となりましたが、その時まで2つの城は並立して立っていたということです。
溢れんばかりの独特な新緑の森と、城の歴史には因果関係は・・・あるでしょうか?(I)

関連ページ(1) 山陰中央新報 
関連ページ(2) 日本海新聞(主に鳥取県情報) 
関連ページ(3) マンスリーニュースダイジェスト 
掲載担当者 王国情報局 

 


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