最終更新日 2004年06月13日

6/13王国ニュースフラッシュ
青空が眩しいサンデーモーニング 再び梅雨の中休み 当分晴れ模様が続く予報 

項目1 米子の下町観光ガイド盛況 今年の利用1000人 昨年実績既に更新 対話重視の案内人気 


 
妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)に復元された高床式建物、そして後方に孝霊山(高麗山)の西側稜線、そしてさらに後方に大山が見えています。
日本海をまぢかに望む標高100〜150mの妻木晩田山に、弥生後期の大集落と四隅突出墓を含む墓地が築かれていました。遺跡の規模は約170ha。弥生時代の国史跡のなかでは最大規模。発掘調査をしたのは全体の約1割(約16ha)ですが、そこでみつかった建物跡は約900軒、墳墓群は30数基に及びます。エリアごとに形成された遺跡を検証してみると、ここが、まさに山の上の「計画都市」だったことが判ります。
何故、山の上に? この都市が形成された理由を探ると、いろいろなものが見えてきそうですね。そう、大山との関係も。(I)

関連ページ(1) 山陰中央新報  
関連ページ(2) 日本海新聞(主に鳥取県情報) 
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掲載担当者 王国情報局 

 


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